それは「19年あまり前の出来事」というとらえ方になってしまうが、それはマスコミをとおして感じる印象とはあまりに違っていた。
平成7年1月17日の朝5時ここと阪神地方がとてつもない地震が襲われた。 時の政府首相「村山富市」だったが対策の遅れを指摘されたことで今も言われている。首相の責任は大きい国民の生命・財産を守るために最大限の準備と努力をしていただろうか?
神奈川県に住んでいたわたしが被災地を訪れたのは平成7年2月6日(月)午後であった。横浜から高槻あたりまでは高速道路を使えたがそこから先は物理的に使うことは不可能であった。三宮あたりから地震被害のすごさに驚の連続さらに高速道路を支えている丸い支柱が折れて横倒しになったそばを通って行く。
1週間の休暇を取り出かけた被災地でいったい何ができるか?そのことは現地についてから考えよう荷台には携帯コンロや水を運ぶためのポリタンク、食料が積み込まれている。目的地の長田町付近では倒れた家屋が道をふさいでいたその傍らで住民がたき火をしている。気温は5度夜は氷点下になる時期で休む場を失った人達は避難所にあふれていた。住宅街には壊れた家のそばでたき火をしている人達がとても印象的だった。
ここまで写真は1枚もとれていない。愛用のカメラF2フォトミック(モータードライブを装着)をとりだす勇気は私にはなかった。
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