朝日新聞記事からだけではわからない背景 長崎への修学旅行時の中学生

朝日新聞デジタルのタイトル
「修学旅行生5人、長崎の被爆者に暴言 横浜の中学校謝罪」

http://www.asahi.com/articles/ASG673RG9G67TOLB001.html

リンク切れになるとわからなくなるので上記の画面を画像で載せておきますCapha1

長崎の被爆者の語り部「森口貢」さんと横浜市公立中学生徒男子5人との間であったこと(詳細は記事参照)

ただ記事に出ていない内容について調べてみた

被爆者とは

昭和20年8月に広島市と長崎市に投下された原子爆弾によって被害を受けた、被爆者(被爆者健康手帳所持者)の方々の数は平成23年3月31日現在、全国で21万9410人となっています。被爆者援護法に定める「被爆者」とは次のいずれかに該当する方で、被爆者健康手帳を所持している方をいいます。詳細は次のリンク厚生労働省のサイトあります。

語り部森口貢氏(無償ボランティアではなく有償1万円/時間)が修学旅行生に話していた内容についてもっと細かく調べてみた

被爆体験談を話していたことは当然だろう。そしてほかには何を話していたんだろう

直接被爆ではなく2次被爆で認定されていることは理解できる。この方が原爆の被害について語るときどのように話しているのだろうか?長崎の原爆投下、被害について話されるならなんら問題ないが長崎以外について政治的な内容を中学生に話すのは場違いではこのことは新聞には記載無い。言葉のやりとりで中学生への抗議と校長に謝罪を要求って現場にいたであろう引率の教師たちはどうしていたんだろう。その後このような新聞記事になる。流れを見ていると日本をおとしめようとしている慰安婦問題を叫ぶ人達、靖国参拝を批判する人達と共通点を感じます。もうすぐ8月15日ですね私は靖国神社へ参拝に行く予定でおります

森口貢氏の長崎原爆投下前後の動きをまとめてみました

1945年8月4日佐賀の田舎に疎開した。5日後長崎に原爆が投下された。20日爆心地を抜けて長崎に戻った。

原爆投下時は佐賀に疎開していたようだ投下後に被爆した人を入市者と呼ぶ

「入市者とは」原子爆弾が投下されてから2週間以内に、救援活動、医療活動、親族探し等のために、広島市内または長崎市内(爆心地から約2kmの区域内)に立ち入った方。※広島にあっては昭和20年8月20日まで、長崎にあっては昭和20年8月23日まで。

竹田恒康氏による解説 https://www.youtube.com/watch?v=r-wsOsYBxj4

 

 

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